歴史と沿革
株式会社 大山は大正10年(1921)創業
日本の化粧品業界で知名度の高い老舗です
株式会社 大山のルーツは、大正10年創業の「大山勇次郎商店」に遡ります。
当初は国産の石鹸・歯磨などの日用品中心であった取扱商品群も、わが国の化粧品市場の成熟とともにコスメ中心にシフトし、「ヘチマコロン」をはじめとする数多くの専売商品を育成してまいりました。
また、国産品では物足らない先進的なお客様のニーズに対応するために、輸入専門商社を別会社として設立。
主に欧米から数々の輸入化粧品の正規代理店として日本に導入してきた実績は業界でもトップクラスです。
- 令和3年 (2021)
- 創業の地、日本橋浜町で100周年を迎える。
- 平成27年 (2015)
- OATホールディングス株式会社を設立し、グループ各社との連携をさらに強化。
- 平成27年 (2015)
- 海外向け売上の急増にスムースに対応するため、タイ現地法人“SIAM OHYAMA”を設立。
- 平成22年 (2010)
- 業績向上に伴い、さらなる業務拡張に備え、日本橋浜町に本社を移転。
- 平成16年 (2003)
- 日本橋久松町に本社を移転。取扱商品の専門性をより高めるための業務改革を推進。
- 平成4年 (1992)
- 新しい企業理念体系を設定し、CIマークを変更。
- 平成3年 (1991)
- 埼玉流通センターを増床、デジタルピッキングシステムを導入。
11月1日に創業70周年を迎え、記念事業として70周年史を発刊し、式典を挙行。
- 平成2年 (1990)
- 営業本部を移転・一本化。商品情報誌「OHYAMA」発刊。
- 昭和60年 (1985)
- IBM製ホストコンピュータを新規導入し、本社・物流センター間のオンラインネットワークが完成。
- 昭和59年 (1984)
- 埼玉流通センター(現・フィットエクスプレス)竣工。EDPによる自動ピッキングシステムを導入。
- 昭和57年 (1982)
- 「付加価値流通業」を宣言。輸入化粧品を中心とした多くのオリジナル商品を手がける。
- 昭和55年 (1980)
- 「ジバンシィ」ブランド香水の日本総代理店となったのを契機に、
海外製品導入推進のための新会社・大山インターナショナルプロダクツ株式会社(OIP)を設立。
- 昭和51年 (1976)
- 取扱品目の急速な拡大に対応するため、EDPによる販売管理・物流システムを本格導入。
- 昭和50年 (1975)
- 大幅な組織改正を行い、担当役員制・8部18課5センター体制となる。
- 昭和47年 (1972)
- 11月1日、勇次郎の体調不良のため1年延期となっていた創業50周年記念式典を挙行。
その直後である11月5日、大山勇次郎逝去。享年73歳。
- 昭和46年 (1971)
- 取扱品目数が5,000を超え、年商50億円に到達。小売業向け情報タブロイド紙
「大山マーケティングリポート」を発刊し、ショールームを開設。
小売業態店舗「マリネッタ」を設立するなど、次々と新事業に挑戦。
- 昭和45年 (1970)
- 貿易自由化に伴い、外国製品の市場参入が活発化。
ブルジョワ、ゲラン、ランコム、イヴ・サンローラン、クリスチャン・ディオールジバンシィ、
ヤードレー、ダンヒルなど数多くのブランドの日本市場導入を大山がサポートする。
- 昭和44年 (1969)
- 本社社屋完成に合わせ、社名を「株式会社 大山」に変更。
- 昭和42年 (1967)
- 配送機能の合理化のため、中洲配送センターを開設。
- 昭和41年 (1966)
- 大山俊雄、38歳で代表取締役社長に就任。 勇次郎は会長となる。
- 昭和33年 (1958)
- 大山勇次郎、東京化粧品歯磨卸組合の理事長に就任。
- 昭和24年 (1949)
- 1月1日、大山勇次郎商店から大山商店へ組織変更。
- 昭和20年 (1945)
- 東京大空襲により大山勇次郎商店も被災するが、地下防空壕前の路上ですぐに商売を再開。
- 昭和13年 (1938)
- 戦時経済体制への移行に伴い、化粧品が贅沢品として挙げられ、
出荷高に対し10%の物品税が課税される。
- 昭和9年 (1934)
- 大山勇次郎商店、日本橋橘町(現・東日本橋)に移転。
東京化粧品卸商研究会に加入。
- 昭和8年 (1933)
- 当時の新業態である百貨店が台頭。衣類・日用品の極端な乱売(安売り)を行い、
数多くの卸売業が倒産したが、大山はこれに追従することなく高付加価値な商品を経営の柱として難局を乗り切る。
- 大正12年 (1923)
- 9月1日の関東大震災により、日本橋浜町の店舗が全焼。
- 大正10年 (1921)
- 大山勇次郎により「大山勇次郎商店」として創業。